私の股関節

インプラント


S-ROM

高度な変形や再置換に利用される特殊なものらしい。

5か所に分かれていて、それぞれオーダーし、組み合わせる。セミオーダーの人工股関節。

2001.9.26 入院、第1回貯血(200cc) 鉄剤服用と造血剤の点滴も同時に開始。

病室はナースステーションのすぐ横、いわゆる重症4人部屋だった。

個室を希望していたが、もっと重病の患者さんがいたため入れてもらえなかった。

2001.10.3   第2回貯血(200cc)

2001.10.4  術足を完全に消毒、足全体を密閉状態にされる。剃毛(翌年から無しになったと聞いて悔し涙)。

      麻酔医の訪問。心配事はないかと聞かれ、腰痛が一番心配だと答えた。

      すると、私の場合は、ほかの痛みで腰痛を感じる余裕はないだろう、と気の毒そうに言われた。

      それは、本当だった・・・。

2001.10.5   朝いちばんに、麻酔医が再度訪問。やさしく落ち着かせてくれた。

      8時半頃 病室を出て、 9時 手術開始。

      手術時間は4時間の予定と聞いてたが、順調で3時間半くらいで終わったらしい。

      耳元で大声で「無事に終わりましたよー!!」って先生に言われて意識が戻ったけど、

      まぶたが全く上がらず、ようやく「はい・・・」とかすかに答えた。

      そのあとまた意識がなくなって、気が付いたらICUだった。

     「先生、ありがとうございました」って涙流しながら答える患者さんも多いらしいのに、

      私はなんてかわいくない患者なんだろう~。でも、仕方ないし・・・

      ICUでは、寒くてガタガタ震えて電気毛布でくるまれた以外は順調で、

      体温が安定した後、15時頃病室に戻った。出血量は知らないが、貯血分が余ったらしく戻してくれてた。

      

      夜、執刀医が来て、術後の説明があった。

      屈曲70度までいったこと(術前の説明では60度だと言われていた)

      外転筋が紙1枚ペラペラの状態ではあるが、赤身で弾力性があったので、触らずにそのまま残した、

      と説明された。

     


単純な人工関節の手術は水曜日、一人1時間かからないので、最大6件まで可能だと聞いた。

あともう一日の手術曜日は金曜日で、自骨手術やその他の手術にあてられる日で、私も金曜日だった。

その日の手術は私一人だけだったらしく、病棟もゆったりムード。

手術室に向かう時も戻ってきた時も、手の空いてる看護師さんたち大勢に見送ってもらい、出迎えてもらった。

戻ってきた時、「ただいま~~っ」と元気に挨拶できて、かつて固定術の時は顔面蒼白で死人のような状態(と皆が言った)で戻ってきたのとは大違いで、本人も家族もビックリだった。


ただ、術後の痛みは、想像を絶する痛みだった。


手術日は術後24時間、血栓予防のためフットポンプ装着。弾力タイツもはかされた。

足首に巻かれてるカフみたいなのと皮膚がこすれて足首の皮が剥けて、超痛い。まるで靴擦れ状態。あまりに痛くて眠れたもんじゃないから、夜中に外してもらうよう交渉したけど却下。多分タオルとかあててもらったと思うけど痛みは増強、せめて弾力タイツだけでも脱がせてもらって少しは楽にしてもらった。ポンプが外れたら、すぐに履くこと!と約束させられたけど。いや、足が動かないから自分で履けませんが(;^_^A)

靴擦れの痛みと、足の痛みと、わけのわからん全身の痛みで、ほとんど眠れなかった。


手術翌朝のあの激痛、初めて看護師さんに術足を持たれて動かされた時の痛みは、

一生忘れることはできないだろう。

あまりの痛みに、ぎゃ~~~~~~~!!!と、思わず悲鳴をあげてしまって、

病室どころか病棟を凍らせた。

断末魔の声とかって言葉あるけど、それに近いかも。

固定術を受けていたことが、どれほど怖いことだったのか、

それを解除するということが、どれほど大それたことだったのか、思い知った。

天井を見つめて泣くことしかできなかった。

母親もどうしようもなくて泣いていた。


ベッドアップ30度まで許されてたけど、手術室から乗せられていた足置きがすでに30度くらいあったので、

足置きの台から足をおろさない限り体を起こせなくて、食事もままならない。

腰から硬膜外麻酔を続けてても、足だけは関係なく痛い。傷口は全く痛くなかったけど。

涙を流しながら、自分で足置きから足をシーツにおろす練習をするしかなかった。

2日後には激痛から脱して、1週間ほどたったころ、やっと痛みが和らいできた。

本当にどうなることかと思った。


当時、クリニカルパスというのが普及し始めた頃だった。

各病院、当然いろいろ違うけど、私の病院では、2日目に車椅子、3日目に立つ、1ヶ月後に退院パターンだった。

私の場合は特殊だから、書いたものをくれなかった。

私専用のクリニカルパスを作ってほしいって担当看護師さんにお願いしたら、

「無理(笑)様子見ながらになるから」って言われた。

ま、前例がないのだから仕方ないか。


結局、術後3週間 弾力タイツ装着の上、ベッド上安静(ベッドアップ30度まで)で、自力で足が上がるようになるまで1ヶ月かかった。鉛のようにビクともしなかった足がほんの少し上がったとき、思わず涙がこみあげた。

その後全荷重の許可が出るまで4ヶ月かかり、杖なしである程度歩けるまで2年かかった。


もともとの固定術がスゴイ固定術だったし、外転筋が今にも切れそうで、骨欠損もあったりで、執刀医は非常に慎重だった。理学療法士など第3者によるリハビリは禁止され、自分で動かせる範囲で動かすこと、歩くことが一番のリハビリだと言われただけだった。


歩くことがリハビリと言われても、まともな歩き方を忘れ、本来の歩き方ができない体になってしまっているのに、どうやって一人でそれをもとに戻せというのか。

それでも、病棟の若い主治医は「外転筋が、もしも切れてしまったら大変なことになる」としか言わなかった。

消毒のときも乱暴で、抜糸の時などは予告もなしに突然乱暴に抜いた。痛いと思ったら、やっぱり出血してシーツに血がついていた。

予告してくださいよ!って言うと、え?っなんで?て感じ。こんな人医者になってほしくない。

退院するまでそいつが主治医だったけど、変えてほしかった。


その後

4週目  車椅子

5週目  両松葉杖(荷重なし)

6週目  両松葉杖(1/4荷重)

7週目  両松葉杖(1/2荷重)で退院

3ヶ月目 片松葉杖(3/4荷重)

4ヶ月目 ロフストランドクラッチ(全荷重)

6ヶ月目 1本杖に変えて、職場復帰

2002.10月(2年目) 杖なし歩行の許可を無理やり?もらったが、実際には跛行がひどくて諦めた。

ガタガタ揺れる歩き方が癖になるくらいなら、杖をついてでもきれいに歩きたいと思った。

それに、独身だから仕事をやめるわけにもいかず、長持ちもさせなければならない。

2003.10月(3年目) 執刀医によると2年計画で骨欠損部分に骨ができて埋まるのを待っていたらしいが、

残念ながらできてこなかったらしい。30代という若さに先生は賭けてみたと思うけど、残念な結果に。

でも、レントゲンでは見えない裏側には骨ができてそれなりに安定はしたらしい。

社内や屋内では杖なしである程度歩けるようになったが(跛行はあいかわらず)、外出時は杖やカートを使用。


その後もしばらくはずっと半年に一度の検診だったが、4~5年後くらいにはようやく普通の人と同じように1年に一度の検診になった。



人工関節全置換術を受ける前は股関節固定術を受けていた

(固定19年)

骨頭を残し術後はけん引の予定だったが、開いてみるともう骨頭を残せない悪い状態で、全部切り落としてこの固定方法に急遽変更になったらしい。屈曲30度、外転5度で固定。


術後8週間、胸の下から足のつま先までギプスでぐるぐる巻きのミイラ状態で寝たきり。

ひざ下をカットしたギプスでさらに8週間、両松葉杖。術後6か月で杖なしで退院。

中はプレートと釘5本で固定、1年半後に抜釘手術。将来、人工関節が入れられるよう全部外した。


退院3か月後、社会復帰。完璧に痛みは除かれ、問題なく学生生活に復帰し、卒業後は普通に病院の管理栄養士として勤務。


屈曲の角度がきついため、腰と膝の負担がひどく、30歳頃に初めて腰に激痛が出る。その後、腰痛の頻度と痛みが徐々に増していき、38歳で日常生活にも支障が出て限界が来た。左股関節と右膝も悪くなり受診、人工股関節を勧められた。9月に誕生日を迎えてすぐに入院、39歳2週間で手術を受けた。当然、再置換手術を覚悟の上だった。