かおりん

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国立大阪医療センター(定期検診)

9月は障害年金申請の件で何度も行ってるけど、今日が本来の一年に一度の定期検診。2001年10月5日に人工入れたから、明々後日でまる16年、17年目に突入。障害年金申請のお願い時は、先生が不機嫌そうで悲しい思いもしたけど、今日はいつも通りニコヤカでよかった。レントゲンの結果は去年と変わりなしで、あっさりと、次はまた一年後ね、で終わり。具体的に再置換の手術方法を聞いてみた。ステムの交換は、自分の大腿骨を割って取り出す、ほんとに大変な手術になるらしい。目眩しそう…再置換まで生きていたくないな…マジでそう願う。障害年金も老齢年金もまともにもらえず掛け金だけ払って早死かぁ…最後までかわいそう過ぎるけど…。足底筋膜炎の件を伝えて、補高の高さを確認した。やはり下手に補高すると足に悪く、1センチが無難ということになった。勝手に1センチ補高するつもりでインソールを注文したけど、後から装具屋さんから股関節の主治医に確認してからにしましょう、と連絡があって、今日まで伸び伸びになっていた。病院から装具屋さんに連絡して、今度こそ5日に出来上がりをもらえそうだ。痛みがこれでとまればいいんだけどなぁ…。正確に測るにはレントゲンでは足を全体を撮って測らないとって…と、もっともな事を言われたけど、それは大変過ぎ。技師が計るとしてもメジャーだからメジャーでお願いした。やっぱり2センチから2.5センチらしく、補高は1センチにすることになった。装具屋さんにすぐに連絡して5日に出来上がりを取りに行く予定。

足底筋膜炎

春頃から、歩くと右足首と右足裏が痛むようになった。右のかかとも痺れるし。去年、坐骨神経痛が出て1か月大変だったから、その後遺症だと思っていた。でも、一か所を押すとすごく痛いことに気が付いて、やっと病院に行ってきた。20代後半に知り合った2歳年上の股関節友達が、大昔に遠くから通ったという病院。我が家から近いはずなのに、通ったこともないし、どこにあるのかも知らなった。股関節、腰、両足首、かなりの枚数のレントゲンを撮って、診てもらった。いろいろ動きの検査もしてもらった結果、坐骨神経痛は今はひっこんでいるらしい。もちろん腰の軟骨がつぶれてるから、いつ出てもおかしくないが、今の症状は足底筋膜炎だと言われた。足の甲のアーチがつぶれるとこの病気になるらしい。偏平足の方がなりやすいらしいけど、私の場合は偏平足ではないけど甲が高く、これまたなりやすいらしい。そして、もちろん、股関節が悪いから長年負担がかかってきた結果、だ。ちょうど装具屋さんが来てる日で、いきなり足底板をつくることになった。脚長差があるから、一緒に補高もした方がいいけど、なんで今まで補高してないのか尋ねられた。右足のためには短い方がいい、と言われて補高は勧められなかったと答えたら、じゃあ補高は股関節の主治医に確認してから、ということになった。で、脚長差は測らず帰ったけど、どう考えてもある程度(半分くらい)補高した方がいいに決まっている。今まで内緒で時々してたし・・・思い直して、国立大阪には事後報告することにして、補高もお願いした。補高だけなら障害者手帳が使えるが、足底筋膜炎の場合の足底板は使えないらしい。ややこしいから、補高はサービスします、と言ってくれたけど、申し訳ないなぁ。障害者手帳が使えないから、普通に三割負担。3万円強をいったん払って、あとから2万円くらい戻ってくるらしい。痛み止めはできるだけ飲みたくないから、これで楽になったらいいのだけど・・・今年5月から健康保険証を任意継続から国保にかえたから、今までのスポーツクラブの会員区分が法人から個人に変わって、入会金から必要になって手続きも一からだった。家のことで忙しくて、法人会員退会のまま、その後他のプールも一度も行ってない。地上を歩く距離は、家事をするようになって買い物でかなり増えている。スポーツクラブのプールのあとは必ずジャグジーとお風呂の湯舟にゆっくりつかったが、家ではシャワーが多くなってしまった。これも一因あるんだろうなぁ・・・21日に足の長さを測定して、28日に出来上がりらしい。好きな靴に適応できるか心配はあるけど、これからは足底板が入る靴選びになるのだろうなぁ。それはそれでいいかな、私らしくて。ちなみに、昔遠くから通ったという股関節友達は、28歳で亡くなった。プールで知り合ってそんなに長い付き合いはなかったけど、私の人生で初めて失った、同年代の友達だった。彼女の弟たち二人は、姉を守るよう育てられ、実際守っていて、両親にもお祖母ちゃんにも愛され大事にされ、家庭的にも経済的にも恵まれた人だった。私とは全然違う・・・両側が悪かったが、いつも歩き方に気を付けて、言わなければわからないくらいだった。経済的にも恵まれていて、いつもオシャレだった。母親が、足が悪いのだからいいものを着ないと!と気遣い、歩き方も母親と一緒にいつも研究してたらしい。年末の大掃除で、3階建ての自宅の窓拭きをして下に転落して手を骨折してから、ノイローゼになったらしい。夜が怖いと言って眠れなくなり、ある日の朝、なかなか起きてこないからお祖母ちゃんが起こしに行ったら呼吸してなかったらしい。何とか心臓は動いたけど、脳の酸欠は大きくて、植物状態になり、結局亡くなったそうだ。お線香をあげに行かせてもらったら、遺影のまわりには、それはそれはたくさんのお供え物と花があって、どれほど愛された人だったのか、改めて感じた。部屋も生前のまま。エレクトーンの楽譜の開いたページもそのままだった。足の訓練のために習っていたそうだ。母いわく、一生分の幸せを28年でもらって旅立ったのだろうと。私も短い人生でいいから、彼女のように幸せに生きたかった!!そういうと、母親に、アホなこと言いな!と怒られた。あれから29年・・・早いなぁ。私はすっかり老化して劣化しましたよ。

街角の年金センター6【申請】

今日は申請できるかも、と思うとちょっと緊張して、いつもより早く年金センターに到着。中に入ると、すごい喧騒にびっくりした。所得税の何やらの手続きがあるとかで、パイプ椅子に高齢者たちがいっぱい座って待っていた。係員の手際が悪そう・・・受付の人も殺気立ってるし。ん?!あのオッサンは!!最初に私の受付をしたオッサンかも・・・。半時間以上待って(予約時間ちょっと過ぎた程度だけど)担当者に呼ばれて対応してもらった。確認してもらって数箇所訂正があったけど、訂正印で対応できて、ようやく書類がそろった。もし社会的治癒が認められたら遡及になるらしいが、時効が5年。申請が遅れた理由はコレコレです、時効が5年ということに納得します、という書類を出されてサインさせられた。いや、躊躇して、なかなかサインしなかったけど。術後2年で申請に行ったのに、頭から20歳前の障害だと、年金事務所が相手にしてくれず国保にまわされて2級に該当せず不支給。これって……言いたいことは察知してくれて、奥の詳しい人?に聞きに行ってくれた。社会的治癒が認められてから、弁護士を雇って裁判するしかないらしい。一転して、私ほど悪い場合、2級になる場合もある、とか言い出した。当時は認められなかったけど、術後17年経過してなおあまり変わらない状態で、あちこち周辺が悪くなっている、だから考慮して今は2級にしてあげます…てか?考慮されてしかるべきだけど、まず、それはないだろうな。とにかく、ようやく受理されてヤレヤレ。決定まで3ヶ月から3ヶ月半かかるらしい。とっくんさんは何の問題もなく超スピードの2ヶ月だったらしいけど、さてさて、私の場合はどうだろうか。何かにつけて、つまづきだらけの申請だけど、雨降って地が固まりますように・・・。

街角の年金相談センター5

国立大阪医療センター3

朝、予約の電話をいれると、月曜日だからかお盆明けの影響がまだ残っているのか、外来に繋いでもらうまでかなり待たされた。ようやく繋がって、11:30が予約とれた。診察室に入ると、今日は別件ですかと先生がいぶかしげ・・・予め看護師さんに伝えてたのに、アレレ?状態ながら、診断書とレントゲンのお願いを伝えた。本来なら一度にお願いしたかったけど、年金事務所が渡してくれなかった、って言ってやった。足の可動域をはかるとき、ベッドで仰向けになって、力を抜いて、膝が突っ張ってるんだから力がはいってる証拠、こんなんじゃ正確に測れない、わざと力をいれて動かないようにしてるみたいだ、などいろいろ言われた。しまいには、ゆっくり深呼吸して、と。結局、右膝がつっぱるほど、以前より腰も股関節も固まっているらしい、と私は気づいたけど、先生は認めてくれなかった。「仰向けになるだけでも辛いんです。わざとなんてするわけありません」とちょっと切れてしまった。悲しかった。わざと、だなんて・・・執刀はしてなくても、曲がりなりにも現在の主治医なのに。普通の人工の手術なら、私だってもっと働けている。文書管理の窓口でレントゲンのお願いをして会計を待っている間、悲しくて涙がこぼれそうだった。気分転換に病院の前の歴史博物館に寄って、ランチ、観覧、お茶しながらスマホゲーム、などやってみたけど、完全に失敗。いろんなことが情けなかった。せっかく母の誤嚥性肺炎が落ち着いてきて、ゆっくり家を空けることができたのに、こんなことなら、さっさと帰宅して寝た方がよかったみたい。ともかく、書類はちゃんと書いてくれる先生のようだから、それだけでも良しとしよう。診断書にも「社会的治癒状態であった」と書いてもらうよう年金事務所から言われました、と伝えたら、ハイハイっまた鉛筆で下書きしておいてくれた。診断書と術前のレントゲンフィルムの受け取りまで、2週間くらいかかるらしい。レントゲンはCD-Rがダメで、フィルムか写真と言われてるって伝えたけど、どうなるのかな。昔は自分で別途貸し出してもらったものだけど・・・出来上がりまでの間に、がんばって申立書を完成させなきゃ。診断書ができるまでに下書きを一度チェックしてもらっておこう。初診日に関する調査票は、ネットでPDFをダウンロードしたものを、Wordに変換して入力、印刷。いい具合にできた。(内容はともかく)かつては必死で小さい字で手書きしたものだが、今は進化して無料ソフトでできてしまうのだから、ちょっと感動。(浦島太郎?)2週間後なら、自分の誕生日の週に申請することになるかな。がんばろう・・・。

国立大阪医療センター2

携帯の留守電のメッセージを聞くと、お願いしていた受診状況等証明書が出来上がったとのこと。思ったより早く連絡もらえて助かった。5時まで受取り可能とのことなので、今からでも間に合う!夕食が遅くなりそうだけど、母に我慢してもらうことにして、急いで取りに行った。窓口で3240円を支払って無事に受け取った。当時の会社の診療室からの紹介状のコピーもちゃんと添付してあった。今は会社が吸収合併して診療室もなくなっているので、この紹介状が初診証明に役立つらしい。平成13年3月22日に紹介状を書いてもらったようだ。「36歳の女性の方で、昭和57年(19歳)頃に、国立大阪南病院にて、右股関節固定術を施行されておられます。最近、水泳などの運動後や日常生活動作中での疼痛が増強して参りました」36歳・・・?38歳の書き間違いみたい。にしても、若かったなぁ・・・(しみじみ)今回の受診状況等証明書の方は「先天性股関節脱臼の診断で、国立大阪南病院で右股関節固定術を受けた。その後痛みなく、社会的治癒状態であった。H13年頃から腰痛、左股関節痛など隣接関節障害あり、当院紹介受診」バッチリな気がする~思い起こせば・・・一週間後の3月29日に国立大阪病院(今の医療センター)を受診。初診で、いきなり人工を勧められて、頭が真っ白。とっとと逃げ帰ってしまった。左股関節に異常がないか診てもらうだけのつもりだったので。左股関節の痛みは、確かにかぶりが浅いけど、今の痛みは右をかばい続けて負担がかかった筋肉の痛み、とのことで、ひとまずヤレヤレ。そこから、本当に迷いに迷った。実は固定してくれた先生は定年退職して、民間病院に移ったばかりだった。その民間病院まで行って診てもらったけど、ずっと受診してなかったので忘れられていた。でもレントゲンを見たら思い出した!やっぱり整形外科医だぁ。その先生は、まずは補高靴をつくって腰をかばって、と人工は先延ばし派だった。どうしても、というなら今でもするけど、一生杖がとれないのを覚悟して、と言われた。一方、国立大阪の方は、人工いれて少しでも動くようにして早く楽になればいい。取り柄は「若い(回復が早い)」それだけなんだから、と。杖についてははっきり言わなかった。ただ、可動域は60度程度、期待してはダメ、ベツモノの手術だと思うように、と念を押された。手術に迷いはなかったけど、どちらの先生にしてもらうか、本当に迷った。結局、国立病院で乗りに乗ってる先生の方にお願いすることに決めた。確かゴールデンウイークあたりまで迷ってから予約、5か月手術待ち、手術は10月5日だった。当時は貯血と検査のために2週間前から入院してベッド確保だった。なので、入院の前々日まで普通に働いた。